「ペガサスの記憶」
桐島洋子、かれん、ノエル、ローランド 著
2022年6月20日 小学館発行
図書館から借りた本。 読了。

この本は第1章が桐島洋子、第2章が子供たちが書いている。
第1章は二女を産んだところで終わっていて、そこから5年が過ぎで子供たちが引き継いで完成した本である。
桐島洋子さんは2014年にアルツハイマー型認知症となる。
「シングルマザー」や「未婚の母」などの先駆者のような人で、聡明な女の代名詞みたいな人だったが、そういう人でも認知症を発症してしまうのか・・・。
私は若いときは、その行動力にあこがれを抱いた読者の一人である。
頻繁に雑誌などで取り上げられ、時の人だった。
その彼女の絶頂期に、一度あるパーティでお見かけしたことがある。
「うわ~桐島洋子だ!」とミーハーな私は思い、田舎者だったから、ミーハーだったのに怖気ついて近づけなかった。
その時の印象を今でもはっきり覚えているが、正直あまりにも本の中身と印象が違った。
どちらかというと街の中で会っても気がつかないくらい地味でダサかった。
化粧も薄く、服装も、もしかしたらどこかの国の民族衣装だったのかもしれないが、アイボリーのブラウスに小さな赤い刺繍がポツポツと施されていて、スカートは記憶がない。
私が私が・・・と人を差し置いて話すのではなく、伏し目がちに頷きながら人の話を聞いていた。
この人は案外照れ屋なのかもしれないと思ったのをよく覚えている。
そういう印象だったのに、いつからだろうか、やたら厚化粧の派手な女性になったけど。
第1章は特別目新しいと思うようなことではなく、著書の中に何度か書いてあるエピソードである。
彼女の若いときのエピソードは、その行動力は今でもすごいと思うが、読んでみて感覚が今の私は変わった。
それは私も年を取ってそれなりに辛苦をなめてきてきて、性格がゆがんだこともあるかもしれないが、没落したとはいえ彼女の出自に関する部分は、鼻につく。
アメリカにいるときはマミィだったのに帰国したら子供たちに「お母さま」と呼ばせることも、この人の美学なのかもしれないが、なんだかなあ・・・と思う。。
私は平凡に生きている市井の人にこそ、魅力的な人はたくさんいるという考え方だから、若いときはあこがれた人でも、今は全く違う印象を持つということになる。
そして、シングルマザーや未婚の母などという言葉が現代には定着してしまったから、改めて新しさは感じなくなっている。
第2章の子供たちの文章のほうが私はひきつけられた。
外では桐島洋子は「桐島洋子」を演じていたのかと思うほど、ここまで書いていいのだろうかと思うほど、いろいろな面があらわされている。
子供たちがいじめにあったことや、例えば、結婚相手についてなど。
著者が結婚したころは、子供たちも相手と仲良いことをマスコミなどで取り上げらえていたが、実際はかなり酷い状態だった。
長女は相手といるかぎり縁を切るという手紙を母親に送っているし、二女は高校生の時にその相手と言い争いになって、飼っていた猫を壁に投げつけられたりしている。
桐島洋子ともあろう人が、こういう男を結婚相手に選んだのかと思うほどのことが書かれていて、ちょっと唖然とした。
男を見る目というものは、簡単には身に着かないが、それは恋は盲目、あばたもエクボであって、選んだ相手が子供たちの心を傷つけているという考えに至らないのだろう。
そもそも子供たちの父親も本妻がいて日本に桐島洋子の他にもうひとり女性がいて、その人の間にも子供がいて、結局本妻と離婚した後には、そのもう一人の日本人の女性と結婚している。
その結婚後も、子供たちとの父親とは関係が続いている。
不倫を何とも思わない人は、本当に何とも思わないのかもしれない。
とはいえ著者が、アルツハイマーを発症していなければ、いまだに健筆をふるっていて、行動力も健在だったかもしれない。
一時期、桐島洋子という人は、時代の寵児であったことは間違いない事実だし、それは彼女の現在がどうであれ変わらない。
いろいろなことがあった子供たちでも、寄り添って、いま彼女は穏やかな老後を送っている。

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桐島洋子、かれん、ノエル、ローランド 著
2022年6月20日 小学館発行
図書館から借りた本。 読了。

この本は第1章が桐島洋子、第2章が子供たちが書いている。
第1章は二女を産んだところで終わっていて、そこから5年が過ぎで子供たちが引き継いで完成した本である。
桐島洋子さんは2014年にアルツハイマー型認知症となる。
「シングルマザー」や「未婚の母」などの先駆者のような人で、聡明な女の代名詞みたいな人だったが、そういう人でも認知症を発症してしまうのか・・・。
私は若いときは、その行動力にあこがれを抱いた読者の一人である。
頻繁に雑誌などで取り上げられ、時の人だった。
その彼女の絶頂期に、一度あるパーティでお見かけしたことがある。
「うわ~桐島洋子だ!」とミーハーな私は思い、田舎者だったから、ミーハーだったのに怖気ついて近づけなかった。
その時の印象を今でもはっきり覚えているが、正直あまりにも本の中身と印象が違った。
どちらかというと街の中で会っても気がつかないくらい地味でダサかった。
化粧も薄く、服装も、もしかしたらどこかの国の民族衣装だったのかもしれないが、アイボリーのブラウスに小さな赤い刺繍がポツポツと施されていて、スカートは記憶がない。
私が私が・・・と人を差し置いて話すのではなく、伏し目がちに頷きながら人の話を聞いていた。
この人は案外照れ屋なのかもしれないと思ったのをよく覚えている。
そういう印象だったのに、いつからだろうか、やたら厚化粧の派手な女性になったけど。
第1章は特別目新しいと思うようなことではなく、著書の中に何度か書いてあるエピソードである。
彼女の若いときのエピソードは、その行動力は今でもすごいと思うが、読んでみて感覚が今の私は変わった。
それは私も年を取ってそれなりに辛苦をなめてきてきて、性格がゆがんだこともあるかもしれないが、没落したとはいえ彼女の出自に関する部分は、鼻につく。
アメリカにいるときはマミィだったのに帰国したら子供たちに「お母さま」と呼ばせることも、この人の美学なのかもしれないが、なんだかなあ・・・と思う。。
私は平凡に生きている市井の人にこそ、魅力的な人はたくさんいるという考え方だから、若いときはあこがれた人でも、今は全く違う印象を持つということになる。
そして、シングルマザーや未婚の母などという言葉が現代には定着してしまったから、改めて新しさは感じなくなっている。
第2章の子供たちの文章のほうが私はひきつけられた。
外では桐島洋子は「桐島洋子」を演じていたのかと思うほど、ここまで書いていいのだろうかと思うほど、いろいろな面があらわされている。
子供たちがいじめにあったことや、例えば、結婚相手についてなど。
著者が結婚したころは、子供たちも相手と仲良いことをマスコミなどで取り上げらえていたが、実際はかなり酷い状態だった。
長女は相手といるかぎり縁を切るという手紙を母親に送っているし、二女は高校生の時にその相手と言い争いになって、飼っていた猫を壁に投げつけられたりしている。
桐島洋子ともあろう人が、こういう男を結婚相手に選んだのかと思うほどのことが書かれていて、ちょっと唖然とした。
男を見る目というものは、簡単には身に着かないが、それは恋は盲目、あばたもエクボであって、選んだ相手が子供たちの心を傷つけているという考えに至らないのだろう。
そもそも子供たちの父親も本妻がいて日本に桐島洋子の他にもうひとり女性がいて、その人の間にも子供がいて、結局本妻と離婚した後には、そのもう一人の日本人の女性と結婚している。
その結婚後も、子供たちとの父親とは関係が続いている。
不倫を何とも思わない人は、本当に何とも思わないのかもしれない。
とはいえ著者が、アルツハイマーを発症していなければ、いまだに健筆をふるっていて、行動力も健在だったかもしれない。
一時期、桐島洋子という人は、時代の寵児であったことは間違いない事実だし、それは彼女の現在がどうであれ変わらない。
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Last Modified : 2023-02-25