「一汁一菜でよいという提案」
土井善晴 著
2016年10月25日 初版
(株)グラフィック社 発行
図書館から借りた本 読了

目からうろこではなく、私自身が、一汁一菜でいいという考えかたなので、共感できた。
著名な料理研究家である土井善晴さんの文章は、読者を納得させるほどの読みやすく上手だ。
ベストセラーになったらしいが、頷ける。
一汁一菜とは「ご飯、味噌汁、漬物」を原点とする食事の型。
一汁一菜とは、ただの「和食献立のすすめ」ではありません。一汁一菜という「システム」であり「思想」であり、「美学」であり日本人としての「生き方だと思います。
と書いている。
私は、子供のころから味噌汁が当たり前にあるという食卓だったから、それは今でも変わらず味噌汁がなければ物足りない。
母は煮干しでダシをとり、取り終えた煮干しは、子供のころ飼っていたタマという猫の口に入った。
今の私は、ダシはほんだしだったり、ハイミーだったりするが、インスタント味噌汁もよく使う。
勤めていた時はお弁当を作っていたから、お湯をさすだけのインスタント味噌汁は便利だった。
高上りだけれど、常備品のひとつだ。
図書館で本を借りても、途中で面白くなくてやめるということは、私の場合よくあるのだが(映画も同じで面白くないと思えばやめる)この本のなかの「暮らしの寸法」という項のところにあった文章が気に入って最後まで読む気になった。
気にいったので、ちょっと長いけど書きだしてみる。
「料理はやっぱり"ひと手間”ですよね」とはよく聞かれる言葉ですが、それは労力を褒めているのであって、必ずしもおいしさにつながるものではありません。
そんな言い方をするのは、一般的に手をかけることが愛情を掛ける、思いを込めることにつながると思っているからです。
家庭料理は手を掛けないもの。それが美味しさにつながるのです。(中略)
素材を生かすにはシンプルに料理することがいちばんです。
ところがこの頃は、先述のように手を掛けなければいけない。手を掛けたものこそが料理だと思っている人が多い。
SNSの投稿などを見ていると、一汁二菜をお膳に正しく並べた画像に、「今日は手抜きしちゃった」と言葉を添えてつぶやいています。
和食は簡単、普段はもう少し手を掛けていると、少し自慢もしているのでしょうか。
そんなつもりはなくても、手の掛からない、単純なものを下に見る風潮がお料理する人自身のハードルを上げ苦しめることになっているのです。
そのプレッシャーをまともに受け取った忙しい人たちは、加工食品を使って、別の食材と混ぜ合わせるとか、出来上がったものにトッピングして、複雑にすることでなんとかできると思うようになり、それがまた「手を掛けること=お料理をすること」という誤解を助長させています。
けれども私にはそちらのほうが手抜き料理に見えます。
食材同士を組み合わせて別の味を作ることや、いろいろな香辛料や調味料で味を重ねて美味を作るという考え方は、そもそも日本的な考え方ではありません。
それは西洋の考え方です。
日本には今、様々な哲学や思想の切れ端のような言葉が生活の中に都合よく紛れ込んでいます。
ここまで書きうつして、疲れた。(笑)
ただ、この文章が気に入って以降は、読んでいて面白かった。
一気に読み終えた。
一人暮らしの食事を考え、謙虚な気持ちになって和食を考えるには私向きの本だった。

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土井善晴 著
2016年10月25日 初版
(株)グラフィック社 発行
図書館から借りた本 読了

目からうろこではなく、私自身が、一汁一菜でいいという考えかたなので、共感できた。
著名な料理研究家である土井善晴さんの文章は、読者を納得させるほどの読みやすく上手だ。
ベストセラーになったらしいが、頷ける。
一汁一菜とは「ご飯、味噌汁、漬物」を原点とする食事の型。
一汁一菜とは、ただの「和食献立のすすめ」ではありません。一汁一菜という「システム」であり「思想」であり、「美学」であり日本人としての「生き方だと思います。
と書いている。
私は、子供のころから味噌汁が当たり前にあるという食卓だったから、それは今でも変わらず味噌汁がなければ物足りない。
母は煮干しでダシをとり、取り終えた煮干しは、子供のころ飼っていたタマという猫の口に入った。
今の私は、ダシはほんだしだったり、ハイミーだったりするが、インスタント味噌汁もよく使う。
勤めていた時はお弁当を作っていたから、お湯をさすだけのインスタント味噌汁は便利だった。
高上りだけれど、常備品のひとつだ。
図書館で本を借りても、途中で面白くなくてやめるということは、私の場合よくあるのだが(映画も同じで面白くないと思えばやめる)この本のなかの「暮らしの寸法」という項のところにあった文章が気に入って最後まで読む気になった。
気にいったので、ちょっと長いけど書きだしてみる。
「料理はやっぱり"ひと手間”ですよね」とはよく聞かれる言葉ですが、それは労力を褒めているのであって、必ずしもおいしさにつながるものではありません。
そんな言い方をするのは、一般的に手をかけることが愛情を掛ける、思いを込めることにつながると思っているからです。
家庭料理は手を掛けないもの。それが美味しさにつながるのです。(中略)
素材を生かすにはシンプルに料理することがいちばんです。
ところがこの頃は、先述のように手を掛けなければいけない。手を掛けたものこそが料理だと思っている人が多い。
SNSの投稿などを見ていると、一汁二菜をお膳に正しく並べた画像に、「今日は手抜きしちゃった」と言葉を添えてつぶやいています。
和食は簡単、普段はもう少し手を掛けていると、少し自慢もしているのでしょうか。
そんなつもりはなくても、手の掛からない、単純なものを下に見る風潮がお料理する人自身のハードルを上げ苦しめることになっているのです。
そのプレッシャーをまともに受け取った忙しい人たちは、加工食品を使って、別の食材と混ぜ合わせるとか、出来上がったものにトッピングして、複雑にすることでなんとかできると思うようになり、それがまた「手を掛けること=お料理をすること」という誤解を助長させています。
けれども私にはそちらのほうが手抜き料理に見えます。
食材同士を組み合わせて別の味を作ることや、いろいろな香辛料や調味料で味を重ねて美味を作るという考え方は、そもそも日本的な考え方ではありません。
それは西洋の考え方です。
日本には今、様々な哲学や思想の切れ端のような言葉が生活の中に都合よく紛れ込んでいます。
ここまで書きうつして、疲れた。(笑)
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Last Modified : 2023-07-27