両親が亡くなってから、片づけたはずなのに、あきれるくらいの大量の不用品の山。
家を解体するということがなければ、そのままずっとそこに忘れて残っていただろうと思えるほどの、不用品であふれかえった。
荷物を残したまま、あとは解体業者に処分を依頼するという選択肢もあったが、それでなくても解体代は高い。
耐乏生活に入るのに、契約以上の金額は支払いたくない。
だから、片づけるしかなかった。
何しろ押し入れの奥の奥にあるもの、天袋のものとかは、最後に見たのはいつなのだっていう感じで荷物があった。
収納場所が多ければ多いほど、そこに収まることができる限り、不用品は増えて眠っていくという気がする。
花瓶なんて、14個もあった。
両親が買い求めたものではなく、頂き物ばかり。
思わず笑ってしまったくらいだ。。
こんなに数があっても使うはずもない。
サスペンスドラマの小道具で使う、ガチャンと割れるような花瓶ではなく、どれもでかくて重い。
処分のために運ぶだけでも嫌になったくらいだ。
花瓶は2つだけ残した。
そのうちの一つは、父が勤め上げた会社からいただいたもの。
父が亡くなってから1年ぐらい過ぎた頃、父の勤めていた会社から遺族に本社への招待があった。
定年になって何十年も過ぎていても、死亡してから直近1年ぐらいをめどにまとめて招待されるようだった。
そういうことがあるとは、連絡が来るまでもちろん知らなかったが、大手町にある本社へ私が出かけた。
私が行ったときは50人くらいの遺族がいただろうか・・。
本社の各フロアの社員の仕事ぶりを見学して、近くのホテルでの昼食会。
父は転勤族の地方勤務だったから、娘の私が本社を訪問するってのも考えてみれば、どうなんだろうか?
定年後、一定期間の区切りで、元の社員を招待した方がいいと今になって思うけれど。
その時の記念にいただいたものが、小さな一輪挿しだった。
それは、私の記念として残すことにした。
両親は何も指示せず、まったく片付けもせず亡くなったが、片づけようを思ったときはすでに老いて体力がなくなっていたのだと思う。
片っ端から片づけ捨てということを繰り返したが、これができた体力があってよかったと思う。
私のものを、処分したもので、悲しかったのは重いだけで色あせていくであろう全巻そろったコミック本だ。
買取店に持っていったら、あまりの安さに驚愕した。
ネットオークションでは、高値で取引されているものでも、二束三文になるという現実。
持ち帰ってオークションで売ろうかとも思ったが、そんな気は起きないだろうと思い、泣く泣く手放した。
コミック本は処分してよかったけれど、何が自分にとって大切なものかを考えた時に、無くなって後悔するものが大切なものなのだろうと思う。
人間関係も同じで手放して解放される場合もある。
その見極めが難しいのだけれど。
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Last Modified : 2016-07-16