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心は痛んでも、曲げられないこともある。

2018-06-23 (Sat) 23:31

昨日は晴天で今日はまた曇り時々雨。
相変わらずのサッカーワールドカップの日々。


さて、先日の話の続き。

農家のおばさんと話しているときに、隣のご主人が出てきて、そのおばさんとの会話はそこで途切れた。
隣のご主人とそのおばさんが挨拶を交わして、そのおばさんはすぐに帰って行った。
お互い知り合いではなかったようだ。


ご主人は「入院するところだった」と言った。
ええっ!どうしたんですか?

なんでもまた自転車で転んだのだそうで、サドルにろっ骨を打ち付けて、ものすごい痛みでこれは骨折したと思ったのだそうだ。
入院を覚悟したそうだが、折れてはなかった。

また自転車で転んだのの「また」は、前にも自転車で転倒して頭を打ち脳内出血を起こして4か月入院したことがあるからだ。
ご主人と話していると、入院期間が3か月になったり、4か月になったりするのだが、そのうち半年なんて言い出さないかと思ったりする。


ここは路線バスが走ってない田舎町である。
その代わり市が提供している乗り合いタクシーがある。
低料金でどこでも行ってくれる。
だから、それを利用したらしたらどうかと言った。
すると買い物はヘルバーに頼める。
だけど、ヘルパーに買い物を頼んでも、それでも必要なものが出てくる。
スーパーに行って薬屋に行ってと、行くところがたくさんある。
自分で品物を選びたいのだそうだ。
だったらなおさら乗り合いタクシーでいいと思うが、スーパーもドラックストアーも自分で自転車で行ける距離だということだ。
介護保険を使って、買い物の付き添いというものもあると思うが、ヘルパーは週1回くらいだし、洗濯もお風呂の掃除もご主人がしているから、そもそも介護認定が低いのかもしれない。
要支援1か2か。
年を取ったら、どこで自分の行動に区切りをつけるか?
自分で買い物に行って自分で品物を選ぶということを優先させるなら、裕福なのだから距離に関係なく自転車ではなくタクシーを利用したほうがいいと思うが。


隣のご主人は私に車を出してほしいとは言っていない。
だけど、それを感じることは時々ある。
私から言い出すのを待っているのかもしれないが、私は言わない。
自転車で転んだなんて話を聞くと、一瞬戸惑い心が痛む。
けれど、そこは曲げられない。
引っ越してきたときに人を介して奥さんには頼まれたことがある。
それをきっぱり断っている。
奥さんはドライブが好きで、一度OKを出してしまうとしょっちゅう頼まれると言われていたし、近所の人たちにも断られている。
私は若い年齢で免許を取ったから、運転歴は長い。
若いときはレーサーになりたいと思ったくらい、運転も昔は好きだった。
年取った今はどうか。
運転が嫌いなのだ。
他人を乗せることも他人の車に乗ることも嫌いだ。
若いときは他人を車に乗せることを何とも思わなかったが、年取った今は運転歴が長いというだけで、自分は気が付かなくても運転技術は衰えているかもしれない。

事故というものは突然起きる。
いくら自分が気を付けていても、起こすかもしれないし貰うかもしれない。
車は凶器だと運転していながら思うことはしょっちゅうだ。
働いていた時に、取引会社の人で息子の友達の車が事故を起こし同乗していた4人のうちその人の息子だけ死亡した。
交差点で信号無視されてぶつけられて、ぶつけたほうが亡くなったという人もいた。
そういうことを思い出せば、うかつに他人を車に乗せるわけにはいかない。
年を取ればとるほどその思いは強くなった。
私が一言乗せてあげるといえば済む話なのかもしれないが、それが言えない。
冷たいと思われても、それは自分の為でもあり、相手の為でもある。
事故で自分が傷ついたり最悪亡くなっても、他人は巻き込みたくないと思うからだ。

自分が同じ立場になったら・・・と考える。
近所の人の車をあてにしないと思う。
そもそもそういうことを頼める人はいないんだった。



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最終更新日 : 2018-06-24

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