時を束ねて リボンをかけて

2019-05-30 (Thu) 15:59

姉の形見のネックレス。

昨年の9月頃、姉の形見の金のネックレスを紛失した。
それがどこで失くしたのかさっぱりわからなかった。
家の中だと思うが、必死に探したが見つからなかった。
姉とは10才離れているが、38歳で心不全で突然亡くなる半年ほど前に、新しいものを買ったからということで私にくれたのだ。
結局それが形見のように思えて、身につけていた。
ただ、お風呂に入るときは、首にタオルが引っ掛かるので、いちいち外していたのだ。
いつもの同じ場所にポンと置いたつもりだったのだが、それがみつからない。
近くの温泉に行ったことを思い出したので、そこのロッカーに忘れてきたのかもしれないと問い合わせをして、遺失物として調べてもらったがなかった。
そうなると、家の中にある。
それがどこにあるのかわからない。
洗面台で排水口に流してしまったということも考えられるし、半ば諦めていた。
だけど心理的にそれがないと時々不安になるという状態だった。
なにしろお守りみたいなものだから。

そうして、一昨日の5月28日。
普段は身につけないエプロンを着て、買い物に行った。
それは柄が私のお気に入りで、エプロンなのにめったに着ないおしゃれなエプロンである。
帰って来てから、それを頭から脱いだ時にポロンとポケットからネックレスが滑り落ちた。
ええっ!!!このエプロンのポケットに入っていたのか!!!
懐かしくてやっと会えたね!という気持ち。

5月28日に見つかったことに呆然とした。
5月28日は私が3年前にすべてを捨ててこの家に引っ越した日だ。
丸3年が過ぎて昨日から4年目に入った。
ここが終の棲家になるかどうかは3年過ぎれば分かるだろうと思っていた。
3年過ぎれば5年が過ぎるだろうと、一応3年を目標にして生きてきた。
引きこもりであっても、淡々とつつましく、そういう自分を楽しんでそして愛して暮らしてきた。
そういう節目の日に、姉の形見のネックレスが出てきた。
姉は私に、「あんたは自由に生きてね。やりたいことをやって自由に生きてね」とよく言っていたが、その言葉が私の今を支えていると思うことがある。
姉は心臓弁膜症を15歳で発症し、19歳の時に余命10年と言われたのだが、恋をして、舅、姑、自分よりも年上の小姑のいる家に嫁いで、かなり苦労をして結婚生活を営んいた。
姉は義兄を愛していたから、義兄と結婚したことを後悔はしてなかっただろうが、私に同じような道を歩ませたくなかったのだと思う。

やさしさと弱さは紙一重。
強さとわがままも紙一重。
姉は優しくて強かった。
だから病気でもあの家で舅・姑につかえることができたのだ。

私はわがままで弱い。
だから離婚したのだ。

だけど、姉はそれでいいと、そういう私でいいと天国で思っていると思う。
好きなように生きている今の私を応援してくれているはずだ。

だから5月28日にこのネックレスが再び姿を現したのだ。
これは偶然ではなく、この引越し記念日に、改めて頑張れと応援するための必然だったと思う。
そうして私はこの見知らぬ土地で4年目を歩き出した。

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Last Modified : 2019-05-30
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