昨日の続きです。
診察室に入ると、先生に喫煙の有無を聞かれた。
たばこは吸いますか?
吸います。と答えると「間質性肺炎です」との診断。
CTの画像のコピーしたものに、肺の汚れている部分を〇で囲んで、「タバコによる間質性肺炎」と書きこんで渡された。
何才から吸っているのか?
1日何本吸うのか?
そういう質問をした後に、「禁煙はできますか?」と聞かれた。
「できません」
できませんと答えたら、先生はええっ!とびっくりして、椅子から飛びあがった。
本当に驚いた時は、椅子から飛び上がるのだ。
コントなどではよくあるが、まさか目の前でそれを見るとは思わなかった。
そばにいた看護師さんも、驚いて私を見た。
そこで私は、返答を間違えたことに気が付いた。
禁煙します・・とか、努力します・・とかそういう言葉をいうべきだった。
まさか間髪入れずに「できません」と答えるとは思わなかったのだろう。
若い先生から見れば、なんというババアだこいつ!!と思ったのかもしれない。
嘘はつけない。
だから言った。
「禁煙は何度もしました。何度もしたのだけれど、挫折する。その繰り返しです」と言った。
そこから怒涛の説教。
禁煙ガムや禁煙パッチやいろいろあるでしょ。
今禁煙すれば、このままでこれ以上は悪くならない。
禁煙しなければだんだん悪化して、少し歩いただけで息が切れるようになる。
最悪は酸素吸入器をつけるようになりますよ!
とにかく私から禁煙するという言葉を聞きたいという、気持ちがヒシヒシ伝わってくる。
いい先生なのだろう。
そして喫煙者をとことん嫌っていることも伝わってくる。
黙って素直にうなずいたりしてから、ついに「わかりました。禁煙するようにします」と私は言った。
すると、本当に禁煙したか3か月後の12月に予約を入れときます!と言われた。
今度は私のほうがええっ!である。
12月に検体検査という項目で、予約を入れられた。
それらの話が終わってから、ところで、腫瘤はどうなりましたか?と聞けば、ガンはありませんと最後に言われたのだ。
次は消化器内科で検査の予約。
この予約をするだけで、さんざん待たされた。
大きな病院の1日は長かった。
コロナの感染者が多く出ている市だったから、その日から2週間が過ぎるまで心配だった。
私の弟は10月に職場の健診を受けて異常がなかったが、同じ年の12月に末期の直腸がんが見つかった。
翌年1月に手術となったが手遅れで開いて閉じただけで余命は3か月だった。
それでも亡くなったのは8月。
私は弟のことがあったから、健診は受けるが、それで安心と考えることはしない。
つまり健診を過信しない。
今は病院の敷地内も禁煙のところばかりだが、昔は喫煙できる場所もあった。
弟は、点滴の機械をガラガラ押しながら、外のなるべく遠い場所のベンチでタバコを吸っていた。
治る見込みがあるるのなら禁煙だったのだろうが、弟の妻も主治医も私も誰も弟の喫煙を咎めなかった。
余命が短いと知ってから「おふくろより先に逝くとは思わなった」と私にポツリと言ったが、一人ベンチに座りながら、タバコを吸っていた弟は、何を思っていたのだろうか・・・。
兄は脳内出血で3日間の集中治療室から一般病棟に戻って、私が行ったときに最初に交わした言葉が、タバコを吸いたいだった。
バカ言ってんじゃない!と私は言った。
カーテン越しで隣の患者さんが私たちの会話を聞いていて「タバコはダメですよ」と言った。
そして、兄は私に入院の用意をしてほしいと言った。
兄の妻がするものだと思って、そう言ったが、○○(兄の妻)はダメだ。何もしてくれないというので、○○さんはどこに行ったの?と聞くと、兄が答えるより先にやはり隣のベットの人が、奥さんは帰りましたよと教えてくれた。
隣のベットの人は、カーテン越しに兄夫婦の会話を聞いていて、兄の妻の何かを感じ取ったのかもしれなかった。
兄たちは離婚寸前の壊れた夫婦だった。
そして、私はこの兄嫁が嫌いだった。
分かった!売店に行って、揃えられるものすべて買ってくるから安心していい~と言って、売店でコップや箸やテッシュなど揃えられるものすべて揃えた。
何度もお礼を言われ、必ず返すからと言われたが、、兄と話ができたのはそれが最後だ。
その日の夜に再び脳内出血を起こし、もう2度と会話ができず意思の疎通もできず、3年間寝たきりの生活で亡くなった。
そういう亡くなり方をしたので、兄がタバコを吸いたいと言ったときに、病室でなかったら吸わせてあげたかったと思ったものだ。
私にとってタバコは悲しい思い出が多い。
多いのだが、タバコは孤独をいやす道具でもあるのだ。
次回、禁煙への道。乞うご期待!
いや、期待されても困るか。内容は薄い。(笑)

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診察室に入ると、先生に喫煙の有無を聞かれた。
たばこは吸いますか?
吸います。と答えると「間質性肺炎です」との診断。
CTの画像のコピーしたものに、肺の汚れている部分を〇で囲んで、「タバコによる間質性肺炎」と書きこんで渡された。
何才から吸っているのか?
1日何本吸うのか?
そういう質問をした後に、「禁煙はできますか?」と聞かれた。
「できません」
できませんと答えたら、先生はええっ!とびっくりして、椅子から飛びあがった。
本当に驚いた時は、椅子から飛び上がるのだ。
コントなどではよくあるが、まさか目の前でそれを見るとは思わなかった。
そばにいた看護師さんも、驚いて私を見た。
そこで私は、返答を間違えたことに気が付いた。
禁煙します・・とか、努力します・・とかそういう言葉をいうべきだった。
まさか間髪入れずに「できません」と答えるとは思わなかったのだろう。
若い先生から見れば、なんというババアだこいつ!!と思ったのかもしれない。
嘘はつけない。
だから言った。
「禁煙は何度もしました。何度もしたのだけれど、挫折する。その繰り返しです」と言った。
そこから怒涛の説教。
禁煙ガムや禁煙パッチやいろいろあるでしょ。
今禁煙すれば、このままでこれ以上は悪くならない。
禁煙しなければだんだん悪化して、少し歩いただけで息が切れるようになる。
最悪は酸素吸入器をつけるようになりますよ!
とにかく私から禁煙するという言葉を聞きたいという、気持ちがヒシヒシ伝わってくる。
いい先生なのだろう。
そして喫煙者をとことん嫌っていることも伝わってくる。
黙って素直にうなずいたりしてから、ついに「わかりました。禁煙するようにします」と私は言った。
すると、本当に禁煙したか3か月後の12月に予約を入れときます!と言われた。
今度は私のほうがええっ!である。
12月に検体検査という項目で、予約を入れられた。
それらの話が終わってから、ところで、腫瘤はどうなりましたか?と聞けば、ガンはありませんと最後に言われたのだ。
次は消化器内科で検査の予約。
この予約をするだけで、さんざん待たされた。
大きな病院の1日は長かった。
コロナの感染者が多く出ている市だったから、その日から2週間が過ぎるまで心配だった。
私の弟は10月に職場の健診を受けて異常がなかったが、同じ年の12月に末期の直腸がんが見つかった。
翌年1月に手術となったが手遅れで開いて閉じただけで余命は3か月だった。
それでも亡くなったのは8月。
私は弟のことがあったから、健診は受けるが、それで安心と考えることはしない。
つまり健診を過信しない。
今は病院の敷地内も禁煙のところばかりだが、昔は喫煙できる場所もあった。
弟は、点滴の機械をガラガラ押しながら、外のなるべく遠い場所のベンチでタバコを吸っていた。
治る見込みがあるるのなら禁煙だったのだろうが、弟の妻も主治医も私も誰も弟の喫煙を咎めなかった。
余命が短いと知ってから「おふくろより先に逝くとは思わなった」と私にポツリと言ったが、一人ベンチに座りながら、タバコを吸っていた弟は、何を思っていたのだろうか・・・。
兄は脳内出血で3日間の集中治療室から一般病棟に戻って、私が行ったときに最初に交わした言葉が、タバコを吸いたいだった。
バカ言ってんじゃない!と私は言った。
カーテン越しで隣の患者さんが私たちの会話を聞いていて「タバコはダメですよ」と言った。
そして、兄は私に入院の用意をしてほしいと言った。
兄の妻がするものだと思って、そう言ったが、○○(兄の妻)はダメだ。何もしてくれないというので、○○さんはどこに行ったの?と聞くと、兄が答えるより先にやはり隣のベットの人が、奥さんは帰りましたよと教えてくれた。
隣のベットの人は、カーテン越しに兄夫婦の会話を聞いていて、兄の妻の何かを感じ取ったのかもしれなかった。
兄たちは離婚寸前の壊れた夫婦だった。
そして、私はこの兄嫁が嫌いだった。
分かった!売店に行って、揃えられるものすべて買ってくるから安心していい~と言って、売店でコップや箸やテッシュなど揃えられるものすべて揃えた。
何度もお礼を言われ、必ず返すからと言われたが、、兄と話ができたのはそれが最後だ。
その日の夜に再び脳内出血を起こし、もう2度と会話ができず意思の疎通もできず、3年間寝たきりの生活で亡くなった。
そういう亡くなり方をしたので、兄がタバコを吸いたいと言ったときに、病室でなかったら吸わせてあげたかったと思ったものだ。
私にとってタバコは悲しい思い出が多い。
多いのだが、タバコは孤独をいやす道具でもあるのだ。
次回、禁煙への道。乞うご期待!
いや、期待されても困るか。内容は薄い。(笑)

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Last Modified : 2020-09-29