時を束ねて リボンをかけて

2020-10-26 (Mon) 23:26

90過ぎて終の棲家はどこになる?

洗濯物を干すのに庭に出たときに、隣のご主人が道路から自宅の2階を見ていた。
勿論あいさつしたが干し終わってもまだ見ているので、家の不具合でも見つけたのかな?と思い声をかけた。

すると、「家を売ろうかと思って・・」と言う。

いやあ、まずい。
こういう話題は避けたい。

「あら~そう」と言うしかなかった。

本当なら、どうして~とか言うべきだろうが、事情を知っているから余計なことは言えない。
私が知ったことはご主人には知られてないが。

この家は奥さんの名義だった。
奥さんとは、籍を入れてなかったから、この家は実は旦那さんのものではない。
だから勝手に売ることはできないのだ。

「女房の姪っ子が、俺が死んでもここに住まないというのだ」と言う。

それはそうだと思う。
奥さんは97歳で亡くなった。
その人の姪っ子なら、今いくつだろう。
ご主人も子供もいて、しかも農家で、そういう人がこんな他県の何もない田舎に移り住むはずがない。


「だから、それなら売ってしまおうと思って!」と言う。

「売ってどうするの?」と聞いたら、鹿児島に行くときっぱり。
どうして鹿児島?と聞けば鹿児島出身だと言う。
前は確か長崎と言っていたのだが。???
鹿児島に誰がいるのかを聞けば妹さんがいるのだそうだ。
子供はなく、一人暮らしをしているそうで、そこに行くと言う。
93才の人の妹はいくつなんだろうと思ったが、そうなの・・・としか言いようがない。
正月前に一度鹿児島に行ってこようと思っているそうだ。
いやはや、でもこの人ならやるかもしれない。

鹿児島なら「SEGODN」だねぇ・・「SEGODON」大好きだったよ~なんて言葉も出ない。

90過ぎても自由だ。
考えが。
施設に入るという選択肢はないのだろう。
何しろ病院で認知症もないとお墨付きをもらっている。
だから、老人が夢物語を語っているのではなく、70過ぎてここに移住してきたらしいが、90過ぎて鹿児島に移るのも、自分の中で違和感がないのかもしれない。
どこで生きてもいつか死ぬ。
90過ぎても生きたいように生きればいいと私は思っている。
ある意味、羨ましいのかも。
大きな寂しさと、奥さんの姪たちに奥さんの貯金も家も持っていかれた無念さと葛藤はあるだろうが。
この年になってのこの現実はあまりにも酷だと思うが、プライドが高くて肝心なことはぼかして話すから、話を合わせるのにものすごく疲れる。
だからといって詳しく話されても困るのだが。
私は度量は狭い、小さい。
自分のことでアップアップしている。


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Last Modified : 2020-10-26
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