どういうふうに書き出そうか・・・とずっと迷っていて、時間が過ぎてしまった。
私のブログを長く読んでくれている人には、たびたび取り上げていたから思い出してもらえるかもしれない。
隣のご主人のこと。
実は1月26日にお亡くなりになりました。
93歳。
昨年、お風呂を勧められた時に、それは3回目だったから、ほとほとまいってしまってこの地区の担当の民生委員に相談した。
女性の民生委員で上品な人だが気さくな奥様でもある。
私の話を聞いてあら~それは気持ち悪いわねえ…といいながら、寂しいのだと思う…と言われた。
寂しいのだと私も思うから、たびたび訪問してあげてくれませんか?私は人付き合いが苦手だから私では限界があるんですと頼んだのだ。
すると、ヘルパーさんの入っている家には、民生委員はあまり顔出しができないのよと言われた。
市と民生委員と介護事業所と密に連携をとっているようだが、そんな決まりがあるのだろうか・・・。
そのお風呂の件は、様子を見てそれが続くようなら奥さんの姪夫婦の電話番号を知っているから、対処を考えようということになった。
姪夫婦は、私が挨拶しても二度も無視したくせに、民生委員には挨拶に行っていた。
田舎者ほど田舎の名士(?)にいい顔をする。
1月26日にその民生委員のYさんから連絡をもらった。
16日に腸閉塞で入院して、その腸閉塞の処置はうまくいったが容態が急変して亡くなったということだった。
Yさんも役所からの連絡で知ったとのこと。
Yさんから連絡をもらったときに、もう少し優しく接しておけばよかったかな・・・と言ったのだが、よくやったでしょうよ~と言われた。
いやゴミ出ししかしてないから・・・と言ったら、普通の人はそれだってやらないからと言われた。
Tさん(隣のご主人)は、通ってくるヘルパーさんにさえ怒鳴ったりして、難しい人だったから、付き合うのは大変だったと思うよと言われた。
よく相手したほうよと慰められた。
ご遺体は、病院と役所と姪夫婦とで電話で連絡が取れていて病院からそのまま葬祭場に行くことになった。
翌日、姪夫婦が来た。
葬儀はどうするのか気になったが、隣のご主人と親しかった元区長という人が、その姪夫婦に尋ねると身内だけで送るので参列はご遠慮くださいと言われたという。
お骨拾いまでするつもりだったが、そう言われて参列はしないということだった。
私は・・・どうするか・・・。
ちょうど、隣に入っていく姪夫婦と会ったから、一応お悔みを述べて葬儀のことを聞いたが、やはり身内だけでと言われた。
すぐ火葬にしてそのまま、永代供養をしているお寺に預けるという。
そして、民生委員のYさんから聞きました。
いろいろお世話になっていたそうで、ありがとうございましたと頭を下げられた。
いやいや何もお世話はしていませんからと言った。
まあ・・・なんていうか、私も頭にくることはたびたびあったが、ゴミは私が出すからと言った以上は、何ごともなかったように普段通りゴミ出しはしていた。
今年になって隣のご主人に会ったのは2回。
正月明けの3日。
4日が今年最初の燃えるごみの収集日だったから、ゴミ出してくるよ~と言って預かった時。
私は、猫たちがいるからトイレの砂もあるし、週2回のゴミの収集日には多くても少なくても必ず出すが、隣は市の規格のゴミ袋が満杯になるまで出さない。
2週間に1回くらいしか出さないのだ。
ぎゅうぎゅう詰めにするからものすごく重い。
だから、どっちにしても車に積んで私が出すしかないのだ。
重すぎて集積所に運ぶのは、もう隣のご主人には無理なのである。
玄関前に出してあるときはそのまま声をかけずに持っていくが、2回目に会った時は13日。
ゴミが出てなかったから、ピンポンを鳴らしてゴミ持っていくけど~と声をかけた。
ゴミはないと言って、外に出ようとしたから、外に出なくていいから寒いから家に入っていたほうがいいよ~と言ったのが最後の会話。
その時は普段通りで、特別具合が悪いようには見えなかった。
その3日後の16日に自分で救急車を呼んで病院に行ったということだ。
私は早めに雨戸を閉めてしまうから、救急車が来たことは知らなかった。
サイレンを鳴らさないで救急車がくることは、隣は多い。
その日のうちに帰ってくることもあるし、3日ぐらい入院してから帰ってくることもある。
いつも普通に歩いて救急車に乗るので心配したことはなかった。
腸閉塞ということだから、相当苦しかったのかもしれないが、その時の救急車は私は気が付かなかった。
夜中だったのだろうか・・・。
長くなるので次回へ。

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隣のご主人のこと。
実は1月26日にお亡くなりになりました。
93歳。
昨年、お風呂を勧められた時に、それは3回目だったから、ほとほとまいってしまってこの地区の担当の民生委員に相談した。
女性の民生委員で上品な人だが気さくな奥様でもある。
私の話を聞いてあら~それは気持ち悪いわねえ…といいながら、寂しいのだと思う…と言われた。
寂しいのだと私も思うから、たびたび訪問してあげてくれませんか?私は人付き合いが苦手だから私では限界があるんですと頼んだのだ。
すると、ヘルパーさんの入っている家には、民生委員はあまり顔出しができないのよと言われた。
市と民生委員と介護事業所と密に連携をとっているようだが、そんな決まりがあるのだろうか・・・。
そのお風呂の件は、様子を見てそれが続くようなら奥さんの姪夫婦の電話番号を知っているから、対処を考えようということになった。
姪夫婦は、私が挨拶しても二度も無視したくせに、民生委員には挨拶に行っていた。
田舎者ほど田舎の名士(?)にいい顔をする。
1月26日にその民生委員のYさんから連絡をもらった。
16日に腸閉塞で入院して、その腸閉塞の処置はうまくいったが容態が急変して亡くなったということだった。
Yさんも役所からの連絡で知ったとのこと。
Yさんから連絡をもらったときに、もう少し優しく接しておけばよかったかな・・・と言ったのだが、よくやったでしょうよ~と言われた。
いやゴミ出ししかしてないから・・・と言ったら、普通の人はそれだってやらないからと言われた。
Tさん(隣のご主人)は、通ってくるヘルパーさんにさえ怒鳴ったりして、難しい人だったから、付き合うのは大変だったと思うよと言われた。
よく相手したほうよと慰められた。
ご遺体は、病院と役所と姪夫婦とで電話で連絡が取れていて病院からそのまま葬祭場に行くことになった。
翌日、姪夫婦が来た。
葬儀はどうするのか気になったが、隣のご主人と親しかった元区長という人が、その姪夫婦に尋ねると身内だけで送るので参列はご遠慮くださいと言われたという。
お骨拾いまでするつもりだったが、そう言われて参列はしないということだった。
私は・・・どうするか・・・。
ちょうど、隣に入っていく姪夫婦と会ったから、一応お悔みを述べて葬儀のことを聞いたが、やはり身内だけでと言われた。
すぐ火葬にしてそのまま、永代供養をしているお寺に預けるという。
そして、民生委員のYさんから聞きました。
いろいろお世話になっていたそうで、ありがとうございましたと頭を下げられた。
いやいや何もお世話はしていませんからと言った。
まあ・・・なんていうか、私も頭にくることはたびたびあったが、ゴミは私が出すからと言った以上は、何ごともなかったように普段通りゴミ出しはしていた。
今年になって隣のご主人に会ったのは2回。
正月明けの3日。
4日が今年最初の燃えるごみの収集日だったから、ゴミ出してくるよ~と言って預かった時。
私は、猫たちがいるからトイレの砂もあるし、週2回のゴミの収集日には多くても少なくても必ず出すが、隣は市の規格のゴミ袋が満杯になるまで出さない。
2週間に1回くらいしか出さないのだ。
ぎゅうぎゅう詰めにするからものすごく重い。
だから、どっちにしても車に積んで私が出すしかないのだ。
重すぎて集積所に運ぶのは、もう隣のご主人には無理なのである。
玄関前に出してあるときはそのまま声をかけずに持っていくが、2回目に会った時は13日。
ゴミが出てなかったから、ピンポンを鳴らしてゴミ持っていくけど~と声をかけた。
ゴミはないと言って、外に出ようとしたから、外に出なくていいから寒いから家に入っていたほうがいいよ~と言ったのが最後の会話。
その時は普段通りで、特別具合が悪いようには見えなかった。
その3日後の16日に自分で救急車を呼んで病院に行ったということだ。
私は早めに雨戸を閉めてしまうから、救急車が来たことは知らなかった。
サイレンを鳴らさないで救急車がくることは、隣は多い。
その日のうちに帰ってくることもあるし、3日ぐらい入院してから帰ってくることもある。
いつも普通に歩いて救急車に乗るので心配したことはなかった。
腸閉塞ということだから、相当苦しかったのかもしれないが、その時の救急車は私は気が付かなかった。
夜中だったのだろうか・・・。
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Last Modified : 2021-03-06