時を束ねて リボンをかけて

2021-03-08 (Mon) 23:57

隣のご主人から学んだこと。 3

葬儀が終わってから、2週間ほど過ぎて姪夫婦が菓子折りをもって、片付けのため滞在しますと言いに来た。
1週間ほどの滞在だった。
帰るときにまた声をかけられた。
直感的に好きなタイプの人たちではないので、前のように完璧に無視されててもかまわなかったのだが。
自家用車に詰めるだけ積んでゴミ処理センターを何度も往復して、1トン以上は処分したと。
生ごみは全て片付けたと言われた。
まだまだ処分するものは残っているが、四十九日にはこれないので、改めてまた片付けにくるとのことだった。

隣の家は、奥さんの名義だったから、相続人は姪さんである。


隣のご主人は、考え方によっては幸せな最期だったのかもしれないと思うようになった。
認知症になったわけではなく、寝たきりになったわけでもなく、自分で救急車を呼んで病院に行って、短い期間で亡くなった。
最期まで自立していた人だ。
最期まで自立するということの難しさは、私は両親の介護をしたからよくわかる。
望むことはできても、叶うかどうかわからないのが最期だから、Yさんがしみじみ、たいしたもんだわねえ・・・と言ったのもわかる。


天涯孤独の人だったが、誰にも頼れないという気持ちは、意固地な性格になるかもしれないが、それが自分を奮い立たせる原動力にもなる。

人は孤独なものだが、孤独に押しつぶされるか、孤独をはねのけるか、孤独を受け入れるか‥人によって違う。
孤独と共存できる人が、つまりは強い人なのかもしれないということを、私は隣のご主人から教えてもらった気がする。




先日、庭で草むしりをしていたときに、散歩中のどこかのおじさんに声をかけられた。

「隣のご主人亡くなったんだってねえ・・・」
そうです・・。

「元気に自転車に乗っていたのにねえ・・・」
そうですね・・・。

「さびしくなったねえ・・・」
寂しくなりました・・・。

そんな会話をしたのだ。

実はいつも接していたわけではなく、ほとんど顔を合わせないというほうが多かった。
だから、いまだ隣がいないという気はしないのだ


そうかと思うと、先月の末だったか・・・。
庭で洗濯物を干しているときに、隣の家の前に車が停まってインターフォンを鳴らしている白衣を着た女性がいた。
応答がないので、スマホでどこかに連絡をして、どうしようと言っているようだった。

どちら様ですか?と声をかけた。
薬局のものです。
病院の日なので迎えに来たのですが、出てこないのです。

「お亡くなりになりましたよ」と言った。
ええっ!!!!
1月ですよ。
再び、ええっ!!!!

前に住んでいたところでは、無料の送迎車を出している病院がほとんどだった。
ここでは、田舎の車社会だから、病院の送迎はないが、予約制で有料で送迎を引き受けるところはある。
隣に来た人はそういう病院と連携している薬局の人だ。
しかし、亡くなったという連絡がどこからもなかったから、迎えに来た。
隣のご主人は予約も自分でしていたのか~と思うと、やはりすごい人だったなと思う。

おわり。

長々とお付き合いいただきありがとうございました。


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Last Modified : 2021-03-09
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