7月9日に共同通信のこういうニュースがあった。
映像のニュースでも取り上げられていたけれど。
預かった犬を劣悪環境で飼育 保護ボランティアを提訴
預けた犬が死んだのは劣悪な環境で飼育されたのが原因として、三重県四日市市の動物愛護団体の代表が、保護ボランティアの女性(55)に慰謝料など約145万円の損害賠償を求め、大阪地裁に提訴したことが9日、分かった。7日付。
女性は高齢や病気の犬猫を引き取る「神ボランティア」として知られた。
訴状によると、女性は16年10月「四日市動物愛護団体つむぎ」が保健所から引き取った雄犬1頭の譲渡を受けた。
団体側に「別の(飼い主の)所に出す」と説明したが、実際は他の犬猫のふん尿や死骸が放置された自宅で水や餌を与えずに死なせたとしている
そのニュースを見たときに、素朴な疑問として預けてから、その後、その犬がどうなったのか、相手に尋ねなかったのだろうか?ということ。
預けたワンコがいまどういう状態でいるのか気にならなかったのだろうか?
三重県四日市と京都府八幡市の距離ってどのくらい離れているのだろうか?
どういう経緯でこの他県同士の二人が1匹のワンコで繋がったのかさっぱり分からない。
ペットを飼ってみれは分かるが、人間も年を取るが猫や犬も年を取る。
1匹の猫を看取るのでさえ、心労と体力が削られる大変さがある。
一人の女性がたとえ神ボランテァと言われていようが、その人のキャパを考えれば、うっかり預けられないと思う方が自然ではないだろうか。
とはいえこの四日市の愛護団体は、ブログなどを読むと収支報告もきちんとなされて、一生懸命さは伝わる団体だ。
こういう動物愛護家が今のペットの不幸な事態に立ち向かっていることも事実なのもわかっている。
そう思って検索していて見つけた記事がこちら。
茨城県の認定NPO法人の愛護団体が、保護センターから引き出した犬6匹をこの女性に丸投げしていた。
しかも茨城県から京都府まで空輸だと。
これも不思議でしょうがない。
神ボランテァだから、一人に6匹もの犬を預けても平気だとでも思ったのだろうか?
保護センターから引き出す「数」ばかりにこだわると、それを実績として保護団体の活動のアピールには役立つかもしれないが、、引き出すという行為を優先されて本来の動物愛護というものから、かけ離れてしまう危険性もある。
この女性の家の現場確認もせず、どういう環境の下で育てられるかも知らないで、空輸で6匹の犬を一人の女性に託すという感覚が分からない。
そこまで信用できる根拠は何だというのだろうか。
結局は、多頭飼い崩壊に繋がって、多くの犠牲を出す羽目になった。
一人で手に負える範囲なんて、実はホントに狭いはずなのに。
スーパーボランテァと呼ばれた尾畠春夫さんが、行方不明になった男の子を探し出したのは、今から何年前だろうか・・。
あの年の暮れの尾畠さんのドキュメンタリーを見たことがある。
スーパーボランテァだなんて呼ばれなかったらホントにいい1年だったと言っていて、そう呼ばれることを嫌がっていて、普通のボランテァに戻りたいと言っていた。
その言葉がとても印象的だった。
他人から評価されたされたいとか、優位にたちたいとか、敬われたいとかの思いが強くなれば、「神ボランテァ」だの「神様」だのという言葉は心地いいのかもしれないが、ボランテァを始めたときの最初の素朴な思いを持ち続けていてほしかった。
他人に評価されなくても人は生きていけるもんだと私は思っている。

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映像のニュースでも取り上げられていたけれど。
預かった犬を劣悪環境で飼育 保護ボランティアを提訴
預けた犬が死んだのは劣悪な環境で飼育されたのが原因として、三重県四日市市の動物愛護団体の代表が、保護ボランティアの女性(55)に慰謝料など約145万円の損害賠償を求め、大阪地裁に提訴したことが9日、分かった。7日付。
女性は高齢や病気の犬猫を引き取る「神ボランティア」として知られた。
訴状によると、女性は16年10月「四日市動物愛護団体つむぎ」が保健所から引き取った雄犬1頭の譲渡を受けた。
団体側に「別の(飼い主の)所に出す」と説明したが、実際は他の犬猫のふん尿や死骸が放置された自宅で水や餌を与えずに死なせたとしている
そのニュースを見たときに、素朴な疑問として預けてから、その後、その犬がどうなったのか、相手に尋ねなかったのだろうか?ということ。
預けたワンコがいまどういう状態でいるのか気にならなかったのだろうか?
三重県四日市と京都府八幡市の距離ってどのくらい離れているのだろうか?
どういう経緯でこの他県同士の二人が1匹のワンコで繋がったのかさっぱり分からない。
ペットを飼ってみれは分かるが、人間も年を取るが猫や犬も年を取る。
1匹の猫を看取るのでさえ、心労と体力が削られる大変さがある。
一人の女性がたとえ神ボランテァと言われていようが、その人のキャパを考えれば、うっかり預けられないと思う方が自然ではないだろうか。
とはいえこの四日市の愛護団体は、ブログなどを読むと収支報告もきちんとなされて、一生懸命さは伝わる団体だ。
こういう動物愛護家が今のペットの不幸な事態に立ち向かっていることも事実なのもわかっている。
そう思って検索していて見つけた記事がこちら。
茨城県の認定NPO法人の愛護団体が、保護センターから引き出した犬6匹をこの女性に丸投げしていた。
しかも茨城県から京都府まで空輸だと。
これも不思議でしょうがない。
神ボランテァだから、一人に6匹もの犬を預けても平気だとでも思ったのだろうか?
保護センターから引き出す「数」ばかりにこだわると、それを実績として保護団体の活動のアピールには役立つかもしれないが、、引き出すという行為を優先されて本来の動物愛護というものから、かけ離れてしまう危険性もある。
この女性の家の現場確認もせず、どういう環境の下で育てられるかも知らないで、空輸で6匹の犬を一人の女性に託すという感覚が分からない。
そこまで信用できる根拠は何だというのだろうか。
結局は、多頭飼い崩壊に繋がって、多くの犠牲を出す羽目になった。
一人で手に負える範囲なんて、実はホントに狭いはずなのに。
スーパーボランテァと呼ばれた尾畠春夫さんが、行方不明になった男の子を探し出したのは、今から何年前だろうか・・。
あの年の暮れの尾畠さんのドキュメンタリーを見たことがある。
スーパーボランテァだなんて呼ばれなかったらホントにいい1年だったと言っていて、そう呼ばれることを嫌がっていて、普通のボランテァに戻りたいと言っていた。
その言葉がとても印象的だった。
他人から評価されたされたいとか、優位にたちたいとか、敬われたいとかの思いが強くなれば、「神ボランテァ」だの「神様」だのという言葉は心地いいのかもしれないが、ボランテァを始めたときの最初の素朴な思いを持ち続けていてほしかった。
他人に評価されなくても人は生きていけるもんだと私は思っている。

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Last Modified : 2021-07-13